FC2ブログ

ぽやんとなんかしてないんだぜ日記

家族

小さい頃からわりと懐疑的な子供だったなぁという気がします。
進学とか就職とか結婚とか出産とかなんとなく当たり前くさく思われてること全般に懐疑的だったなぁ。

そんな私も結婚しました。でもどこかやっぱり、相変わらず、男もすなるにきというものを女もしてみんとてするなり、な実験的日常というか土佐日記気分だったりします。

そして新しい家族を持つと、自分が生まれ育った家庭の、本当は自分とはちっとも合わないけど心に蓋をして合わせてきた部分とか、ぽろぽろと見えてきたりしますね。勿論新しい家族も自分とぴったり合うわけではないけれど、合わないという地点からスタート出来ることがとても楽だったりします。

そんな夫は割れ鍋に綴じ蓋で、まったく懐疑的ではない、柔軟性があって、ものごとに固執しなくて、どこでも一瞬で眠れる、関西弁でいうところの、なかなかにはったりのかませる男であります。

夫婦はそうやって、違うからこそ目的を一にするとき合う人を見つけることが出来るかもしれないけれど、親子はなかなかにむずかしいですね。割れ鍋に綴じ蓋夫婦からトングとかスパチュラとか、はたまたシリコンスチーマーみたいな子が生まれるかもしれないしねー。

わかろうとするより、わからなさを敬愛できるフレッシュな心を持っていたいな。
スポンサーサイト

カーテンを洗う

麻布が好きです。

引っ越してきた時、麻のカーテンを作りました。
298円のお惣菜を買うのもためらう貧乏性ですが、シーツとカーテンは清水の舞台から飛び降りて麻100%のものを買いました。光に透かした感じがとても綺麗で好きです。

春の日差しの強さを感じはじめて、あわてて昨日から首の後ろに日焼け止めを塗りはじめ、今日はカーテンを洗うことにしました。

丈夫でさらっとしてハリがあって、くり返し洗ってもしゃんとしていて、だけどすこしずつやわらかさを帯びて、馴染んでいく。

さりげなく、強くてやさしい、
麻のような女性にあこがれます。

悲しみのひとはけ

末盛千枝子さんの「人生に大切なことはすべて絵本から教わった」という本を読みました。そのなかに、悲しみのひとはけ、という表現があり、とても美しい言葉だなと思いました。

芸術に不可欠なのは悲しみの味があるかどうか。どこかに悲しみの影、悲しみのひとはけが塗られているから、私達は心を打たれるのだ、という作者の思い。

本当にそうだなあと思う。ちびまる子ちゃんのような、ほのぼのした平和な家族の幸せの風景ばかりのように見える世界にもちゃんと悲しみのひとはけはあって、まるちゃんのお姉ちゃんが「さきこちゃん。」と名前で呼ばれるシーンが私はとても好きです。

いつもいつも誰からもお姉ちゃん、と呼ばれていて、自分でもちゃんとお姉ちゃんをやっているのですが、妹がうらめしくなり、そんなみじめな自分に嫌気がさして素直になれずしょげていると、ちゃんとお母さんが見ていて、名前を呼んでくれるのです。きらきらしたきれいな名前です。めったに呼ぶことも呼ばれることもなくなっていた、という悲しみの影の色に裏打ちされて、本当にいい名前をつけてもらったんだなあ、ということが際立つ忘れがたいシーンです。

子供の頃の悲しみは小さな世界の小さな体にぎゅっと凝縮されていて、記憶というより、身体感覚そのものです。そんな悲しみとはもう無縁に思える大きな体のお母さんにも、同じように子供時代はあって、そんな子供の気持ちに気付けなくなったことを気付いた時の、大人には大人の悲しみがある。お母さんだって、お母さんと呼ばれるようになって久しく、本当は美しい名前を持っている、そんなことに気がつく日がきっとさきこちゃんにもいつか来るんでしょうね。
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。